2018年8月31日、漂流していたインドネシアの少年が奇跡的に救助されるという出来事があった。
インドネシア紙のジャカルタポスト(The Jakarta Post)によると、インドネシアの19歳の少年、アルディ・ノベル・アディラン(Aldi Novel Adilang)さんは、49日間もの間、一人で漂流していたということだ。
なぜ漂流する羽目になってしまったのだろうか。そして、アルディさんが生き延びるためにどんなサバイバルをしていたのか。そして、救助されたときの状況はどうだったのだろう。
7月の暴風雨で流される
アルディさんは、ボートの上で漁師のような仕事をして生活していた。
北スラウェシ州の沿岸から125キロの沖合で、魚を捕るためのワナを仕掛けていたという。ボートの上で一人、他人と接触する機会もほとんどないような孤独な仕事だ。
そんな仕事をしていた最中、7月14日に暴風が発生。その暴風は、アルディさんが乗っていたボートを繋いでいたロープを切断してしまう。
アルディさんを乗せたボートは、暴風によって、北の方角へ遠く流されてしまった。
所持していたのは数日分の食糧
ボートが流され漂流という憂き目にあったアルディさんは、これまでの仕事で感じていた孤独だけでなく、飢えやのどの渇きなどにも対処せねばならなくなり、また死と直面する恐怖とも戦わなくてはならなくなった。
暴風によって流された時、ボートには数日分の食糧しかなかった。
そのため、アルディさんは、魚を捕まえて飢えをしのぎ、海水を飲んでのどを潤したという。
海水を飲む、とはどういうことだろう。普通は、海水を飲んで喉の渇きをうるおすことはできないはずだが…。
記事によると、アルディさんは、海水でぬれた服から、少しずつ水分を取っていたという。
それでも塩分は除去できないと思うのだが…。火を使うことはできたということで、海水を蒸留したということだろうか。
残念ながら、記事にはその部分について細部が描かれていない。
また、調理用のガスが切れると、アルディさんはボートの木のフェンスを燃やして調理していたという。
アルディさんは、恐怖に苛まれ、しばしば泣いていたようだ。無理もないことだろう。
いくつもの船が通りかかるも気づかず
漂流の最中、アルディさんは、幾度となく近くを通りかかる船を発見した。
必死で手を振って救助を求めても、なかなか気づいてくれない。
無理もない、通りかかった船も、漂流しているボートが近くにいることなど想像もしないだろう。まして、アルディさんが乗っていたボートは一人用の小さな「いかだ小屋」なのだ。
そうやって発見されず、見過ごした船は、10隻を超えたという。
グアム沖で救助
漂流して49日が過ぎた頃、グアム沖でパナマ国旗をつけた船「アルペッジョ(Arpeggio)」が、布を振って助けを求めるアルディさんを発見した。
しかし、アルディさんのボートは、すんなりと発見されたわけではない。
船のクルーは、最初はアルディさんに気付かなかったという。
そこでアルディさんは、持っていたラジオをある周波数に合わせた。その周波数は、以前友人に、万が一漂流した場合に大きな船を見かけたら使え、と教えられていたものだったという。
そして、幸運にも、「アルペッジョ」船の船長は、その信号をキャッチしたのだ!
しかし、アルディさんのボートに気付いても、救助するのは大変だったようだ。
なにしろ、波は高く、アルディさんのボートに船が近づくこともできない。
船からロープを投げたが、アルディさんのボートには届かない。
そこで、アルディさんは、ボートから飛び降り、ロープを掴んだ。しかし、高い波と強い風が、アルディさんの行く手を阻む。
すでに数週間もの漂流で体力を失っていたアルディさんは、ロープから手を離しそうになったが、その時、船の乗員が、アルディさんの手を掴んだという。
アルディさんは、無事救助された。
その時の緊迫の映像が、これだ。
船長は、グアムの沿岸警備隊へその旨を連絡。沿岸警備隊は、その船の目的地であった日本までアルディさんを連れていくように指示したという。
日本へ到着
アルディさんを乗せた「アルペッジョ」は9月6日に日本へ到着した。
しかし、健康状態などのチェックのため、アルディさんはすぐに日本へ降り立つことはできない。
9月7日、アルディさんに日本へ入国する許可が下り、9月8日に日本からジャカルタへ飛び立ったという。
アルディさんは、ようやくマナドのウォリにいる家族の元へ戻った。健康状態は良好だという。
アルディさんの漂流記はとてもドラマチックだ。
彼は、漂流している49日間、恐怖に苛まれていたようだが、仕方のないことだろう。
ただ、彼がそれでも耐えられたのは、普段の彼の仕事が、海の上で数カ月もボートで一人で魚を捕るというものだからだったのかもしれない。
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