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JASRACがヤマハ等の音楽教室から著作権料徴収?

2017年2月2日、JASRACは音楽教室から著作権の使用料を徴収する方針を打ち出した。

日本経済新聞の記事によると、ピアノ教室などでは、楽器の練習や指導などで著作権のある楽曲を演奏しており、これが音楽著作権を管理する上で「演奏権」にあたるとJASRACが判断したという。

このニュースを見たとき、私は「がめついな」と感じた。音楽などの著作権を保護するのは大切なのは分かるけれど、音楽教室からも徴収するの?

この背景には、最近の著作権保護に関する機運もあるだろうけれど、音楽教室の広がりにも理由があると思う。

最近は、大人になってから音楽教室に通う人が増えたと感じる。昔に比べ、時間的・金銭的に余裕が出てきた大人が増えたのもあるだろうし、趣味を持つことの重要性が認識されているのも一因だと思う。

気になる使用料はいくら?

著作権使用料は、教室の受講料の2.5%だという。

このほとんどは、おそらく授業料に転嫁されるだろうから、一番の被害者は生徒ということになるかな。もちろん、授業料に転嫁されると、生徒数も減るだろうから、教室側も何らかの配慮が必要だろう。

使用料徴収の対象となるのは?

JASRACは、ヤマハ音楽振興会などの音楽教室が全国に11,000箇所あると判断。まず大手から徴収するとのこと。

ただ、「大学や専門学校」からは「当面」は徴収しないのだという。

JASRACは、YouTubeなどの動画投稿(共有)サイトと包括的な契約を結んだ。これは、目に見えない多数の一般人から使用料を徴収するのが物理的に無理だろうから、成立した部分もあると思う。ただ、これにより、「歌ってみた」などのコンテンツが盛り上がった側面もある。

今回は、目に見える形の事業者が使用料の徴収対象なので、JASRAC側としても徴収しやすい。動画サイトとの契約に味をしめたのかな?

当面は大学などの教育機関から徴収する意図はないらしいけれど、これもどうなるかわからない。

取りやすいところから取る。これは、使用料も税金も変わらないね。

音楽教室業界の反応は?

当然、ヤマハをはじめとする音楽教室の業界は反発している。

ヤマハ側弁護士の見解としては、著作権使用料の徴収により、レッスン料が高くなり、生徒が減少すると、音楽文化の発展が阻害される、とのこと。

JASRACとは?

JASRACは、「日本音楽著作権協会」の英語名。日本国内の楽曲などの著作権の管理や委託の業務を請け負う社団法人だ。

著作権の包括的な管理で、著作権者の保護や利用者の利便性に寄与する一方、著作権の徴収方法をめぐって色んな業界から反発を受けているようだ。

私個人の見解としては、音楽教室から徴収するというのは、いささかやり過ぎのような印象だ。

まあ、でも音楽教室の数も増え、ビジネス的にも成功しているだろう(と思う)。儲かっているところから徴収するというのは、まあ当たり前の理論かもしれない。

でも、それによって一番負担が増えるのは、結局のところ音楽を楽しみたい一般人なわけで、果たしてその負担を一般大衆に押し付けて協会や著作権者側だけがいい思いをするというのが果たして社会的に正しいのか疑問だ。

もちろん、ヤマハなどの音楽教室が富を独占しているのならば問題もあるだろうけれど、音楽教室がそこまで不当な利益を得ているとは思わない。どちらかというと、JASRAC側の権利が高すぎると思う。長年のロビー活動の賜物か。

いや、私だって著作権の重要性は分かる。有名シンガーに比べれば規模はかなり小さいが、私自身ブログやサイトの記事や内容をパクられたことがある。自分が時間や手間をかけて書いたり作ったりしたものを赤の他人がさも自分が作ったかのように発表するのは腹立たしい。

ただ、音楽教室で著作物を演奏して使用する分には、ちゃんと著作権者に対してそれなりのリスペクトがある。盗用された私のサイトとは異なり、アーティストの音楽を音楽教室がさも自分たちが作曲したかのように利用するわけではあるまい。

確かに音楽教室は著作権者の作品を利用してお金を稼いでいるかもしれないが、その作品を教材に使用するということ自体、「その作品を教育的に重要なものだと考えている」ことの証左なのだ。その名誉だけで十分ではないか。

そして、使用の間口が広がることにより、長い目で見れば、使用された著作物の権利者に対してさらに恩恵がもたらされると私は思う。それは、一時的なお金には代えがたいものだろう。

また、社会における権利や富の分配という観点からすれば、最近は富が一部の人に集中する状態が行き過ぎていると感じる。

著作権者は、確かに恵まれた才能を持っているのかも知れないが、その才能を発揮し、支持を得るためには一般利用者の支持やサポート無くしては成しえなかったわけだ。

最近の、自分の成功は自分だけの努力で成しえた、といった風潮はイマイチ好きになれない。もちろん、口では「みんなのおかげで…」なんて言っているけれどね。

話は少し変わるけれど、青色LEDに関する日亜化学訴訟の例も然り。ノーベル賞受賞者である中村修二は、この偉大な発明をさも「自分だけで成し遂げた」という風な論調だが、彼が青色LEDの発明を成し遂げるためには、周りのサポートが必要だったわけである。もし文句があるなら、最初から組織に頼らずすべて自分でやっていればよかったのである。

中村氏の業績は素晴らしいものであるとは思う。それは、ノーベル賞が授与された事実からも明らかだ。だから、彼がそれなりの対価を求めるのは悪いことではない。しかし、訴訟で彼が主張した対価はあまりにも度が過ぎていると感じた。まあ、細かくはここで触れない。

少なくとも、成功するかも分らない研究を続けるためにサポートしてくれた会社や、細かいデータの採取や裏付け調査、その他雑用をこなしてくれた周りの人間を無視し、自分の権利だけを主張するような論調には賛同できない。

まあ、当事者にしか分からない感情的なもつれがあったのだろうと推測するけれど、訴訟の額だけを見れば、その要求額は異常だ。

話がそれた。

言いたいのは、結局人間が一人で一生に使える富の量は限られている。それ以上の富を一部の人だけに分け与えるのは間違っている、そういうこと。

参考資料:
日本経済新聞、2017年2月3日


カテゴリ: 時事・ニュース

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