世の中、人に説教したがる人間が多いが、そのほとんどが成功しているとは言い難い。 自分のものとは相容れない意見を持つ他人に対して、自分の主張を説教や説得のような形で納得させるのはかなり困難である。 説教される側が、説教している人間を尊敬していたり、心酔しているようであれば、説教の意味もあるかもしれないが、大抵の場合こういうケースに当てはまらないようだ。 説教する人間の自己満足に終わるか、全くの徒労に終わるのはまだマシで、いらぬ反発や対抗心まで生み出しかねない。 他人を矯正するのは賢者でも無理 ショーペンハウアーも他人へ意見することについて諫めている。 『幸福について-人生論-』(橋本文夫・訳)の中で、ショーペンハウアーはこう述べている。 いかに好意があっても人を矯正する意味の言葉は、対談の際、いっさい慎むがよ … [もっと読む...] about 人を矯正することは可能か 時間の無駄? 変えることができるのは己のみ