「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ」という格言を聞いたことがありませんか。 この格言を言った人は、誰でしょうか。 鉄血宰相ビスマルクとは この「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という名言を言ったのは、かつてのドイツの宰相オットー・フォン・ビスマルク(Otto Eduard Leopold von … [もっと読む...] about 「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と言った人は誰?その意味とは
歴史
ハンムラビ王・ハンムラビ法典とは 「目には目を…」で有名
「ハンムラビ法典」で有名な「ハンムラビ王」は、バビロニア帝国の初代の王だ。 紀元前1810年頃に生まれたとされているが、正確な年月については分かっていない。 ハンムラビ王は周辺諸国を征服した王であったが、彼の名は、その業績よりも、彼が著した「ハンムラビ法典」でよく知られる。 ハンムラビ王 ハンムラビは、都市国家バビロニア(バビロン第1王朝)の王シン・ムバリトの息子として生まれる。つまり、王子として生まれたわけだ。 そして、紀元前1792年に王位に就いたという。 ハンムラビが王位に就いたころは、バビロニアはまだ強国に囲まれた小国であった。しかし、紀元前1764年にラルサを併合した後、前1759年にマリを征服するなど、ハンムラビ王は支配圏を広げていった。 そして、前1757年にシュメール、アッカド地域全体を … [もっと読む...] about ハンムラビ王・ハンムラビ法典とは 「目には目を…」で有名
鄭和とは 南海遠征で知られる大艦隊指揮官
鄭和(ていわ)という人物を知っているだろうか。 中国や東アジアに詳しい方ならご存じだろう。中国の艦隊を指揮し、いわゆる「南海遠征」で知られる指揮官である。 1371年に生まれ、1434年に死去した、中国明朝の武将だ。 イスラム教徒として生まれた鄭和 鄭和は、元の名を馬三保という。雲南に暮らすイスラム教徒であった。 馬三保が幼少の頃は、中国は明に治められていたが、馬三保が暮らしていた雲南は明の支配下ではなく、梁王国に治められていた。 しかし、馬三保が10歳の頃、雲南は明に征服され、馬三保は明の捕虜となる。そして、宦官にされてしまう。 宦官とは、去勢された官吏のことだ。 その後、「靖難の変(せいなんのへん)」と呼ばれる内乱が起こり、この内乱において馬三保は功を立て、宦官としては最高位である「太監」に任 … [もっと読む...] about 鄭和とは 南海遠征で知られる大艦隊指揮官
クフ王とは ピラミッドで有名な謎多き王
クフ王といえば、「クフ王のピラミッド」で有名だ。 しかし、その知名度とは裏腹に、クフ王の実態について分かっていることは少ない。 一体、クフ王とはどんな人物だったのか。 クフ王の人物像 クフ王は、紀元前26世紀に存在していた、エジプト第4王朝の王であることが分かっている。 ただし、クフ王の生没年については、はっきりとは分かっていない。紀元前2589年生まれで紀元前2566年に亡くなった、というのが一般的な解釈のようだ。 クフ王の名前は、ギザ砂漠の三大ピラミッドの1つである「クフ王のピラミッド」で有名だ。 クフ王は、前の王であるスネフェルとヘテプレス一世の間に生まれたとされている。 クフ王を英語で クフ王は英語で Khufu と書く。フルネームでは Khnum Khufu … [もっと読む...] about クフ王とは ピラミッドで有名な謎多き王
賤ケ岳の戦いとは?賤ケ岳の七本槍は誰?
賤ケ岳(しずがたけ)は、現在の滋賀県にある小山のこと。 ここで戦国時代の1583年に行われた合戦のことを「賤ケ岳の戦い」という。 また、この賤ケ岳の戦いで活躍した7人の武将を「賤ケ岳の七本槍」と呼ぶ。 賤ケ岳の地図上の位置 賤ケ岳は、滋賀県の琵琶湖の北岸にある小山のことを指す。 長浜市の北の方にある。 賤ケ岳の戦いは誰が戦った? 賤ケ岳の戦いは、1583年(天正11年)に、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)と柴田勝家・佐久間盛政との間で行われた合戦だ。 この戦いは、羽柴秀吉の大勝で終わる。 そして、この戦で勇名をはせた羽柴方の7人の部将のことを俗に「賤ケ岳の七本槍」と呼ぶ。 賤ケ岳の七本槍は誰? 七本槍は、加藤清正、福島正則(まさのり)、加藤喜明(よしあき)、片桐且元(かつもと)、 … [もっと読む...] about 賤ケ岳の戦いとは?賤ケ岳の七本槍は誰?