近年は、ハロウィンなどの西洋文化が日本で広がっていますが、日本人としては日本文化も大切にしたいところです。
さて、日本の文化として親しまれている「節分」ですが、その意味や日付などを知っていますか。
日本人としては、こういう基本的なことはぜひ知っておきたいですね。
「節分の日」はどうやって決まる?
節分の日はどのようにして決まるのでしょうか。
節分の日は、「立春の日」の前日となっています。
そして、実は、節分の日は固定されていません。
つまり、節分の日は、2月4日であることが多いですが、年によって変わる可能性があるということです。
どういうことかというと、上述のように節分の日は立春の日に従って決まりますが、立春の日自体が変わることがある、ということです。
実際、2021年には節分の日が2月2日になりました。これは、そもそも「立春の日」が従来の2月4日から久方ぶりに2月3日に変わったことによるものなのです。
ちなみに、陰暦では、節分は元日から7日の間にあたっていたようです。そのため、大晦日に行われた行事である「追儺(ついな)」と節分の行事が繋がっていたといいます。
「追儺」とは、奈良時代に中国から伝わった行事のことです。厄神などを弓矢で追い払うのだといいます。平安時代には、宮中でも盛大に行われていたらしいですね。
そして、この追儺こそ、後に述べる「豆まき」の原型ともいえる行事だったのです。
「節分」の意味
そもそも、「節分」とは季節の変わり目の前日、という意味でした。
そのため、昔は「立春」だけでなく、「立夏」、「立秋」、「立冬」、さらには「彼岸」「八十八夜」の前日も「節分」とされていたようです。
では、なぜ現在、節分は「立春」だけに残ったのでしょうか。
それは、立春が太陰太陽暦の正月に近く、年の変わり目という大きな節目の意味合いが強いから、だといわれています。
節分行事の「豆まき」について
節分の行事というと、誰しも頭に思い浮かべるのは「豆まき」でしょう。
ただこの「豆まき」は、昔は「豆打ち」と呼ばれていたそうです。
昔、寺や神社では、節分の夜に「豆打ち」が行われていたといいます。
豆打ちでは、恵方に向かって大豆や勝栗をまき、邪気を追い払っていたといいます。
室町時代に、この豆打ちと、上に述べた追儺が習合し、江戸時代に節分行事となる「豆まき」となったように考えられます(明らかではありません)。
また、江戸時代になると、豆まきが広がるのと引き換えに、追儺は行われなくなったようです。
ちなみに、国語辞典などでは、「豆まき(豆撒き)」と「豆打ち」は同義であるとしているものが多いようです。このように、「豆打ち」と「豆まき」の違いについては、明確な線引きはできないということをお断りしておきます。
節分では、年男や年女が大声で「鬼は外、福は内」と唱えて、豆をまくのは、皆さんご存じのとおりですね。なお、正式には、この時に撒かれる大豆は、年神(としがみ)に供えた炒った大豆なのだそうです。
年男・年女は、その年の干支の人です。例えば、2021年は丑年なので、丑年の人が年男・年女ということになります。かならずしも大人である必要はなく、子供でもOKです。
年男・年女が豆を撒く役である理由は、年神様のご加護を受けている年男・年女が豆を撒くのが縁起良しということのようです。
まいた豆は、年齢の数、もしくはその数に1を加えた数だけ拾って食べます。
鬼は必ずしも「外」ではない?「鬼は内」の例
実は、「鬼は外」というのは、どの家庭でも通用するものではありません。
姓・苗字に「鬼」がつく家では、「鬼は内」と言うこともあるのです。例えば、九鬼という名字の家では、「鬼は内、福は内、富は内」と唱えるらしいですね。
九鬼家といえば、南北朝時代から存在しているという説があるようですが、九鬼の名を最も有名にしたのは、戦国時代の九鬼嘉隆(よしたか)ではないかと思います。
九鬼義隆は伊勢の九鬼水軍を率いて、織田信長の元で功を立て大名となったことで知られます。
「ヤイカガシ」の風習とは?
ヤイカガシ(焼い嗅がし)の風習とは、節分の日に、イワシの頭を焼いて、柊(ヒイラギ)の枝に刺し、戸口にかかげるものです。「ヒイラギイワシ」ともいいます。
⇒「柊(木へんに冬、木冬)」は何と読む?漢字の読み方・意味・使い方 クリスマスに使うのは「柊」ではない?
悪臭によって邪鬼の侵入を防ぐ呪法、魔除けなのだそうです。
まあ、邪鬼のみならず、客人も近寄らなくなりそうですが…。
124年ぶりの珍事 節分の日が2月2日に
例年2月3日であることが多い節分の日ですが、2021年(令和3年)の節分は、2月2日になりました。
先に述べたように、節分の日は固定されていません。
節分が2月2日になるのは、かなり珍しいことでした。
2021年に節分の日が2月2日になったのは、そもそも「立春の日」が従来の2月4日から久方ぶりに2月3日に変わったことによるものです。
国立天文台によると、節分が2月2日になるのはなんと124年ぶりのことなのだそうです。
2021年より前に最後に節分が2月2日になったのは、2021年の124年前、明治30年(1897)なのだといいます。
つまり、2021年に日本で生きていた人で過去に2月2日に節分を迎えた人はいないということになりますね。
ちなみに、節分が2月3日でなくなるのは、昭和59年(1984)2月4日以来37年ぶりということです。
なるほど。節分の日が2月3日からずれるのは、かなり珍しいことなのですね。節分が2月3日で固定されていると考える人が多いのも無理はないということですね。
-参考資料-
・国立天文台ウェブサイト、https://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/topics/html/topics2021_2.html・丹野顕、『常識として知っておきたい日本のしきたり』、PHP研究所、2007年6月18日