2020年10月に入り、「日本学術会議」なる組織の名前をよく目にし耳にするようになった。
どうやら「日本学術会議」に会員として推薦された人を菅義偉首相が任命しなかったことが物議を醸しているようだ。
今回は、この「日本学術会議」の問題について調べてみた。
問題点と経緯
まず、日本学術会議がどのような組織か、ということはいったん置いておいて、どういう経緯で問題が起こったのかを見ていこう。
問題となっているのは、日本学術会議が推薦した会員候補のうち、6人について菅義偉首相が任命を拒否した、ということ。
で、そのことが「政府による学問の自由への侵害」であり、また法律的にも問題あり、と日本学術会議側は反発しているのだ。
つまり、菅首相が任命を拒否したことは、以下の2点で問題がある、と日本学術会議側は主張しているわけ。
・学問の自由への侵害
・日本学術会議法違反
ふむ。日本学術会議側の主張は分かった。
では、なぜ首相は6人の任命を拒否したんだろうか。
首相が6人の任命を拒否した理由
なぜ首相は日本学術会議が推薦した会員候補のうち6人の任命を拒否したのだろうか。
そもそも、何人推薦されたうちの6人なのか。
まず、日本学術会議の会員は210人とされている。
で、その半数である105人を3年ごとに新しく任命するという制度になっているのだ。
つまり、今回は105人推薦されたうち、6人の任命を菅内閣総理大臣は拒否したということになる。
だから、今回任命されたのは99人で、現在の会員は204人ということになるね。
じゃ、105人も推薦されていて、なんで6人だけ任命を拒否したの?というのは当然の疑問で、その質問は当然首相に向けられた。
それに対し、菅首相は、「総合的、俯瞰的活動を確保する観点から」6人の任命を見送ったと発言した。
ちょっとここら辺が分かりにくい。
でも、任命されなかった6人を見てみると、どうも安全保障関連法が関係しているということが分かってきた。
というのも、会員に任命されなかった6人は全員、安全保障関連法や特定秘密保護法などで政府に反論を唱えてきており、また「安全保障関連法に反対する学者の会」の呼びかけ人、もしくは賛同者だからだ。
では、このあたりで日本学術会議がどのような組織なのかみていこう。
日本学術会議とは
日本学術会議とはどんな組織なんだろう。
日本学術会議の公式サイトは、その役割として以下の4点を挙げている。
・政府に対する政策提言
・国際的な活動
・科学者間ネットワークの構築
・科学の役割についての世論啓発
まあ、簡単に言えば、学者たちが専門的な立場から政府に対して意見を言ったり、国際的な学者ネットワークを作る、ということのようだ。
会員数は上にも述べたように210人だけれど、他にも2000人程度の連携会員というものも含めて構成されている。
そして、ここからが重要なのだが、日本学術会議の会員は、特別職の国家公務員という位置づけだ。つまり、税金で運営されているということになる。
そして、日本学術会議の予算規模は、年10億円以上だという。
公務員でありながら、特別職ということで、ある程度の独立性も保たれている。しかしながら、その活動は税金によって賄われている。
ここらへんがどうもこじれる要因の一つになっているようだ。
また、日本学術会議による中国の学会との連携についても危惧する声がある。
日本学術会議の主張
それでは、もう一度、日本学術会議の主張についてみてみよう。
・学問の自由への侵害
・日本学術会議法違反
まずは、「学問の自由への侵害」についてだ。
任命拒否は「学問の自由への侵害」か
果たして、日本学術会議が推薦した会員を首相が拒否するのは「学問の自由への侵害」にあたるのだろうか。
これについては、いろいろな意見があると思う。
例えば、国の税金によってなりたっている学術組織である以上、最初から自由でアカデミックな立場ではないでしょ、という意見(だから、政府の言うことを聞け、という意見)。
それに対して、「いや、アカデミックな世界における人事に政府が口をはさんで介入するのは、学問の独立性をないがしろにするものだ」という意見。そういう日本でいいんですか、という意見。
うーん、どちらにも言い分があるようだけれど…。
「任命拒否」=「学問の自由への侵害」か
それでは、「任命を拒否したこと」は、それがそのまま「学問の自由への侵害」にあたるのだろうか。
これはもしかしたら飛躍しすぎているのかもしれない。
というのも、6人は「日本学術会議」の会員への任命を拒否されたとしても、学問を続け自分の主張を貫く自由が認められているからだ。
これが、例えば6人が収容所に送られ、身柄を拘束されるとか、拷問を受けるとか、つい最近わりと近くの国で行われているようなことが起これば話は別だが、そういうわけではない。
確かに、政府の方針に反対する人たちだから任命を拒否した、という政府の態度は、それが事実なら少し気分が悪いかもしれない。けれど、そもそも「日本学術会議」自体が、特別職とはいえ、政府組織の一部であるのだから、当然しかるべき姿だともいえる。
建前上、任命を拒否したのは民衆が選んだ政治家なのだから、学者たちが内輪で決めた会員よりも、より民意に即しているといえる。それが正しいかどうかは別として。
そして、任命を拒否された人達も、単に政府お墨付きの肩書が無くなり収入も減るかもしれないが、己の信条を貫く自由はちゃんと保障されているのだ。これを「学問の自由」と呼ばずして何になろう。
ちなみに、任命を拒否された6人は、安保法案反対という立場ということで、これはつまり反戦主義だということだろう。
反戦主義者の学者は大勢いるが、例えばフランス人天才数学者のアレクサンドル・グロタンディークという学者に触れてみよう。グロタンディークは2014年に亡くなったから、割と最近まで生きていた。
このグロタンディークの反戦主義は徹底していて、なんと勤めていた研究所が軍から資金を受けていることが分かるとその研究所を辞めたという。
また、フィールズ賞も受賞したが、モスクワで行われていた祭典への出席は拒否したのだそうだ。
・天才数学者アレクサンドル・グロタンディークの手書きメモ約1万8000ページがネットで公開 リンクを紹介 見てみたものの…
まあ、グロタンディークの反戦主義は、その不幸な生い立ちにも関係しているから、それをそのまま現代の日本人に当てはめるわけにはいかない。
けれど、任命を拒否された6人は、政府の方針である安保法案に反対というのであれば、その政府の資金で賄われているような組織の会員になんか頼まれたってなってやるもんか、みたいな気概を見せてもいいかもしれない。
公務員は国家へ反対してはいけないのか
とはいえ、公務員であるならば、国家のやることに対して口を出してはいけない、というのもおかしい話だ。
分かりやすい例でいえば、国立大学などの公立の教育機関だ。
国立大学はもちろん税金で運営されていることになるが、その国立大学に勤める教授は国家に反対してはいけないのだろうか。国家に反対するような人間は教授にしない、ということでよいのだろうか。
極端な話、政府が戦争を起こしたいと考えているときに、その方針に従わない教授は国立大学の教授になれない、とすれば、それも恐ろしい話だ。
戦前の日本はそういう国でなかったか。国のために死ぬことを教育された多くの若者たちが無駄に命を捨てたのも、今の感覚でいえば間違った教育によるものだ。そんなことがつい数十年前には当たり前に行われていた。
今回の任命拒否に対する学会の拒絶反応は、そういうことを危惧しているのだろう。また、日本学術会議にある程度の独立性が保証されているのも、そういう過去に対する反省もあるのだろう。
今回の任命拒否にまつわる諸問題を、国家による専横ととるか、それとも学会の傲慢ととるか。中国という隣国の脅威に対する国防を考える(そしてアメリカとの連携を重視する)政府と、中国を含む国際社会との連携を重視する学会のどちらが正しいのか。
難しい問題である。