
オリンピックで、日本で初めて金メダルを獲得した選手をご存じだろうか。
日本初の金メダルは織田幹雄という選手が獲得した。
そして、この金メダルの授賞式である「珍事」が起こったのをご存知だろうか。
日本初の金メダルを獲得した織田幹雄とはどんな人物?
織田幹雄は、三段跳びの選手で、上述の通りオリンピックで日本初の金メダルを獲得した。
織田幹雄が金メダルを獲得したのは、1928年のアムステルダム大会。
そして、織田幹雄は、その後の日本陸上の発展にも貢献した人でもある。
1928年といえば、この記事を書いている2018年の時点から見れば、90年も前の話。大正時代が終わったばかりの昭和3年で、戦前のことだ。
そんな昔に、日本から程遠いアムステルダムで行われた五輪に出場し、金メダルまで獲得したというのだから、ものすごいことである。
しかし、この日本、いやアジア初ともいえる快挙が達成された時、とんでもない珍事が起こったのだ。
アムステルダム大会のハプニング:なんと「日の丸」がない?
実は、日本が金メダルを獲得する快挙を成し遂げることを想像さえもしていなかったのが、当のアムステルダムだった。
そのため、なんと表彰式に掲揚される日章旗、つまり「日の丸」が用意されていなかったのだ!
そんな中、選手の体を包むための大型の旗が急きょ掲揚されることになった。よく、メダルを獲得した選手がウィニングランをしている時に手に持ったり体を包んだりするあの大き目の国旗だ。
そんな大きな国旗を掲揚したわけだ。
上記の写真を見てもらえば、となりの国旗と比べて、日の丸がかなり大きい事がわかるだろう。
風も良好で、かなり目立っている(笑)。
オリンピックが公開している当時の動画も記事の下に掲載するので、ご覧いただきたい(と思ったのだが、どうやらYouTube外では閲覧できないようだ。リンクからYouTubeへ飛んでご覧いただきたい)。
実は「君が代」も準備不足だった
この日本人初の快挙に伴う珍事は、日章旗が用意されていなかったことだけではない。
なんと、日本の国歌である「君が代」も途中から演奏されるというハプニングが起こったのだ。
何事も、初めての時には色々な不都合や問題が起こるものだが、これはかなりお粗末ではないかな。
規模も認知度も現在に比べれば格段に低かった当時のオリンピックだが、それだけに色々と緩い部分もあったようだ。
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