ドイツ出身のユダヤ系フランス人の天才数学者、アレクサンドル・グロタンディーク(Alexander Grothendieck)の1万8000ページもの手書きメモが、彼の母校であるフランスのモンペリエ大学(Université de Montpellier)によってインターネット上で公開された。
というわけで、早速同大学のサイトへ行って拝見させてもらった。
ほんの数ページしか見ていないが、単なる速記の記号にしか見えない…。
今回公開されたのは、グロタンディークが自身の教え子だったジャン・マルゴワールに自ら贈った2万8000ページに及ぶ手書き文献の中でも重要と思われる1万8000ページ分だそうだ。
それでも、何も理解できない…。日本の天才のみなさん。ぜひ解読してみてください。
アレクサンドル・グロタンディークの生涯
2014年に86歳で死去したドイツ出身のフランス人天才数学者。
1966年に「数学のノーベル賞」という位置づけのフィールズ賞を受賞したものの、モスクワで行われた授与式への出席を拒否した。当時、平和主義者で旧ソ連の軍拡政策に反対していたからだそうだ。
グロタンディークの反戦主義は徹底していて、勤めていた研究所が軍からの資金援助があると知ると、直ちにその研究所を辞職したという。
グロタンディークの徹底した反戦主義は、彼自身ナチスから迫害を受けており、収容所に送られた経験があるからだと考える。父のサシャはアウシュヴィッツ強制収容所で殺害されている。
グロタンディークの天才ぶりを示す以下のエピソードがある。
グロタンディークがモンペリエ大学に在学していた時、教授2人から課題14題のうちどれか1つを選ぶように指示された。それらの課題は、それぞれ数年の作業を要すると見られていた超難問であったという。
しかし、グロタンディークは、その数か月後にそれら14の課題を全て終えて戻ってきたというのである。
1つの課題だけじゃなくて、14の課題全てである。
う~ん。こういうのを本物の天才というんだろうなあ。メディアで大げさに誇張する「〇〇の天才」とかいう世俗的なものではなく、真正の天才だ。
グロタンディークは、1991年に家族とも離れて隠遁生活に入り、フランスのピレネー山脈にある小さな村で暮らし、2014年に死去したという。
とても興味深い人物であったようだ。