四字熟語に「臥薪嘗胆」というものがあります。
難しい字ばかり並んでいるので、読めない人もいるかもしれませんね。
今回は、「臥薪嘗胆」について説明します。
「臥薪嘗胆」の読み方
「臥薪嘗胆」は、「がしんしょうたん」と読みます。
「臥」は「横たわる」という意味の漢字で、「臥薪」で「たきぎ(薪)の上に寝る」という意味になります。
「臥薪嘗胆」は、中国の春秋時代の有名な故事に由来する四字熟語です。
その故事については、後述することにして、まず「臥薪嘗胆」の意味をご説明します。
「臥薪嘗胆」の意味
「臥薪嘗胆」とは、一言でいえば、「大きな目的を果たすために、苦労や努力を重ねること」を意味します。
上述したように、「臥薪」は「たきぎの上に寝る」という意味です。また、「嘗胆」は「苦いキモをなめる」という意味です。
元々は、肉親の仇を討ったり、敗戦で味わわされた屈辱を晴らすという目的を果たすため、その悔しさを長い間忘れないように、たきぎの上に寝たり、苦いキモをなめたり、ということを己に課すということを意味しました。
ちなみに、「臥薪嘗胆」は故事から来ていますので、実際にたきぎの上に寝たり、キモをなめたりする記述が『史記』や『十八史略』にあります。ただし、これらを行ったのはそれぞれ別の人物です。
つまり、故事では、誰か一人の人物が「臥薪」と「嘗胆」の両方を行ったわけではない、ということです。詳しくは、後述します。
それでは、この「臥薪嘗胆」の元となった故事をご紹介しましょう。
「臥薪嘗胆」の故事・由来
中国の春秋時代、越という国がありました。
この越を治めていた王の允常(いんじょう)が死去し、息子の句践(こうせん)が後を継ぐことになりました。
そのどさくさに乗じて、呉という国の王・闔閭(こうりょ)が越に攻め込みました。王様が死んで間もないので、まだ国がまとまっていないと考えたのでしょうね。
しかし、新しい越王の句践も黙って国を差し出すわけにはいきません。
そして、句践の有能かつ有名な家臣・范蠡(はんれい)の奇策などにより、句践は闔閭を追い払うことに成功します。
この范蠡の活躍を描いた小説もありますね。
そして、闔閭はというと、隙をついて越に意気揚々と攻め入った割に、戦で敗れ、しかも戦で受けた傷がもとで、死亡してしまうという憂き目にあいます。
闔閭は死に際、息子の夫差(ふさ)を呼び、越に対して必ず復讐することを言い渡し、死亡します。
夫差は薪の上に寝て親の仇を討つことを誓う
夫差は、父を殺した越に対する恨みを忘れないようにするため、薪(たきぎ)の上に寝て、復讐の念を絶やさないようにしました。
夫差は、快適な布団の上で寝るのではなくて、あえて不快な薪の上に寝ることによって、口惜しさを忘れないようにしたのです。
この故事が、「臥薪嘗胆」の「臥薪」にあたるわけですね。
まあ、闔閭が死んだのは、越の王が死んだどさくさに紛れて攻め込んだ報いとも取れますが…。
句践の屈辱の日々 苦いキモをなめて復讐を誓う
長年の苦労の末、夫差はついに越を破り、句践は降伏します。
先代・闔閭の時代からの功臣である伍子胥(ごししょ)は、この句践の降伏を認めず、句践を殺すように進言しました。
しかし、宰相の伯嚭(はくひ)が句践を許すように諭し、夫差はこの伯嚭の進言に従い、句践の降伏を許します。この伯嚭、実は越から賄賂を受け取っていたようです。
一命を取り留めた句践でしたが、それでも夫差の召し使いとして働くことを強要されるなど、屈辱の日々を送りました。
その後、范蠡の工作により越に戻った句践は、夫差に味わわされた屈辱(「会稽の恥」といいます。また、「会稽之恥」は四字熟語でもあります)を忘れまいと、苦いキモを寝所に吊るし、寝起きする度にこれをなめたそうです。これが、「臥薪嘗胆」の「嘗胆」にあたるわけです。
そして、句践は、ついに夫差を破って呉を滅ぼし、積年の恨みを晴らした、というわけです。